信濃川の上流から運ばれてくる土砂によって新潟港は水深が浅くなり船の行き来が難しくなると心配されていた
そこで、関屋分水路が計画され
新潟市内で地盤沈下による浸水被害が目立つようになった1960(昭35)年頃
その計画は本格化し関屋分水路事業は動き出した
そして、1965(昭40)年:信濃川は1級河川に指定される
その”関屋分水路事業”にて1908(明41)年から開催されていた関屋の競馬は57年の歴史に幕を閉じ
1965(昭40)年5月14日:ここ郊外の豊栄市に移転し新しい歴史を刻み始めた
同年7月10日:日本中央競馬会として22年ぶりの新潟での中央競馬が開催された
<昭和49年度・日本中央競馬会主催・連勝複式勝馬投票券>
1987(昭62)年:それまでNCK(Nippon Cyuo Keiba-Kai)と呼ばれていた略称が
JRA(Japan Racing Association)へと変更され、JRA新潟競馬場と呼ばれる
2001(平13)年7月:右回りから左回りへとコースを変更すると共に
国内では始めての芝1、000m直線コースを開設する
2002(平14)年1月:新潟競馬場での県競馬は事実上廃止(これに伴い県開催の三条競馬場も廃止)
同年9月29日:東京競馬場の改修工事に伴い、東京開催のすべてが中山競馬場で施行されたため
本来、中山競馬場開催のスプリンターズステークスが新潟競馬場で開催される
新潟競馬場では初めてのG1開催となった
1着:ビリーヴ(牝4)、騎手:武 豊
新潟県新潟市豊栄市
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